2021年10月9日土曜日

劇場での「尻叩き」

翻訳掲載いたします。

この記事「A Voice in the Corner」に掲載されていたもので。


「尻叩き」は、舞台芸術の中でも最も一般的なものです。

1920年代から30年代にかけてのロンドンの舞台は、劇中に「尻叩き」のシーンで溢れかえっていました。

今日でも多くの前衛的な作品(例えばシェイクスピアの尻叩きなど)には、注目を集めるために「尻叩き」のシーンが含まれています。


これには理由があるかもしれません。


19世紀には(世紀を見る人にとっては、それが慎重さを美徳とした最後の一歩手前の時代のことです)、「尻叩き」はしばしば演劇の古典的な見せ場の一つでした。

映画や舞台では「尻叩き」がセックスの代用品として使われていたことが多く書かれていますが、当時は「尻叩き」のための木の棒が「尻餅」と同じように演劇の古典的な見せ場の一つとして用いられていたのかもしれません。


クラッパー・スティックとは、軽量の木片を2本使ったもので、「尻叩き」に使うと軽い叩き方にも関わらず、大きな音がしました。でも痛くはなかったようです。


どうやら、ドルリー・レーンにあるいくつかの演劇では、コーラスガールの非公式な躾として「尻叩き」にこの木の棒が使われていたようです。


例えば、リハーサルに遅刻した女の子を呼び出して、みんなの前で監督の膝の上に乗せて「尻叩き」をしてもらうという悪ふざけがありました。

女の子は、これがただの恥ずかしい「お仕置きごっこ」だったのか、それとも木の棒をより頑丈で痛みを伴うパドルに代えられて、行われたのかは、わかりません。


また、演奏中には、ジョークや、あるいは演者やコーラスガールの尻を叩いて一列に戻すために、しばしばこの木の棒が用いられたようです。


1950年代のコーラスガールの一人が回顧録『シアターデイズ』の中で回想しています。

「私たちがやっていたちょっとした寸劇では、みんなが一人ずつ隣の人の方を向いてお尻を振りながら踊るというものがあったのを覚えているわ。でも、私は列の端っこにいたので、最後に屈んでお尻を突き出し、お尻を叩かれなければならなかったのよ。その後、私はびっくりして飛び上がることになっていたんだけど、私はその時、間違って主役の男性の顔を平手打ちしてしまったのよ。」


「拍手喝采が起こったので、これは大成功したわ。ただ、このシーンが大好評だったので、このシーンの最後に顔を打たれた主役の男性が私を捕まえて、膝に乗せてお仕置きをする場面が追加されてしまったの。それは木の棒で私のお尻と叩くというものだったのよ。この演技は好評で毎晩行われたわ。そして最後の夜を迎えたの。最後の夜は千秋楽ということで、今まで悪戯をしてきたいけない私をお客様の前でしっかりとお仕置きするために、木の棒じゃなくて、パドルで打たれることになっていたのよ。だから私は一計を案じて『よし、今日こそは』と、タイツのお尻ところにパッドを入れたのよ。」


「私が彼の膝に身をかがめ、お尻を叩かれると、いつものような大きな音ではなく、鈍い音がしたのね。 それを聞いた主役の男性は、パドルを使わず、手で私のお尻を叩き始めたの。すると当然、彼は私のお尻にパットが入っていることに気づいたわ。『それ見た事か!』と満足げに笑う彼は、パッドの中綿を弄り出し、私のタイツのお尻からピエロ風に引っ張り出すというコメディを披露して、客を喜ばせたわ。もちろんこのアドリブに演者も大喜びよ。そして、とうとうパッドは中綿はなくなってしまったの。彼はパドルは使わなかったものの、お客の前で私の薄くなったタイツのお尻を、不正をしたお仕置きも兼ねて、たっぷりと平手で叩いたのよ。彼の平手打ちはとってもいい音がして、それににとっても痛かったわ。 私の叫び声は劇場中に大きく響き渡って、叩かれるたびに歪む私の顔とお客様に向けられた踊るお尻は見応えがあっと思うわ。舞台上で行われたリアルなお仕置きにお客様も大喜びよ。でも何日も座れなかったわ。」






2021年10月3日日曜日

カナダの尻叩き哲学


珍しい記事があったので、翻訳掲載いたします。


この記事は、「A Voice in the Corner」に掲載されていたもので。


このソースは、「カナダの野生の東」と題された、WOODSHED REMISINECencesの投稿から引用です。

舞台は1920年代から30年代のノバスコシア州の「家族農場のコミューン」。写真はイメージです。


「これらの時代は厳しい時代で、マナーを守らない場合には厳しい罰がありました。今では、若い男性に尻叩きをすることはあるかもしれませんが、それでもそれは恨みの種になってしまうこともあります。当時、12歳以上の少年たちは、他の未婚の女性たちと一緒に寝床に移され、男としてのあり方を学ぶことになっていました。女性たちは、乱暴な扱いを受けることが多かったよのですが、唯一の制裁は、乱暴が過ぎた悪戯者には、体の大きさに合わせた木の枝の束を背中に背負って、膝をついて大きな老木まで歩かせることでした。男たちの膝は大量に出血したそうです。」


「一方、女性の場合は別問題でした。当時は、未婚の女性や妻には、革鞭か杖笞の罰がありました。痛みによって覚えさせるというよりは、普段は隠している尻を裸にして与えることで、恥ずかしさによって覚えさせるということに重きが置かれていたようです。」


「大抵の場合、女性は、薪小屋に連れて行かれ可能な限り裸にされていました。 私が18歳か19歳の時、私たち姉妹にとって、日曜日に教会へ行った後はお仕置きの時間でした。帰ってくるとすぐに、母は私たちの服を脱がせました。私たちは動きにくいのでキャミソールを着ていませんでした。だからすぐにお尻は丸出しになりました。それから、大抵の場合は、ポーチの上で頭に両手を乗せ、下着なしでお尻を丸出しにして過ごすことになりました。他に周りに男性がいた場合には、炊事場で壁に向かって素っ裸で立たされることもありました。 だから、人前で裸にされることにはそれ程抵抗はありませんでした。ただ、お尻を鞭で打たれるのを見なられるのはとても恥ずかしかったです。」


「これは結婚するまで続きました。 マナーを守らせるため、母に鞭で躾けられた私は、今でも鞭の躾は必要だと考えています。兄弟がいなくても恥ずかしかったけど、いい教訓になりますし、自分の娘にも母と同じように鞭を使っています。」


「でも、時折、母が使う革鞭は厳しすぎて、座っていられないこともありました。 自分の娘を持つようになってからは、杖笞の方を好んで使いました。一度や二度は革鞭を使ったことはあったけれど、いくらマナーの悪いお転婆娘たちが憎たらしいほど大きなお尻をしていても、馬の尻を叩くみたいに革鞭で叩いては躾にならないですもの。杖笞で時間をかけて反省させるのが一番だと考えています。」


「当時、鞭の恩恵を受けなかった女はいなかったし、彼女たちは恨みもありません。- 今となっては残酷だったと思われるかもしれませんけど。」




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2021年9月30日木曜日

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リジー・ベインズ⑥:1950年代のお尻を叩かれた妻の物語
アメリアを含む悪戯3人娘をお仕置きしたシンディ、メアリーそしてリジー。
この一件は一旦解決したかに思われた。しかしアメリアのいじめはママの耳に入ることになる。
当然、アメリアはベインズ家伝統の「お仕置きの場所」ターンパイクへ連れて行かれます。
そして、アメリアのいじめをママに報告しなかった大人の悪戯3人娘にも当然の報いが…
今回もママのお仕置き全開です!「ビシッ!」



リジー・ベインズ⑦:1950年代のお尻を叩かれた妻の物語
今回で「リジー・ベインズ:1950年代のお尻を叩かれた妻の物語」は完結。
リジーが待ち望んでいたジョージ帰ってきました。
ジョージももちろんベインズ家。夫婦の愛情表現は当然「お尻!」
完結編に関わらず新しい登場人物も出てきて新しい「お尻」も登場!「ペチン!」



訳者としても最後まで期待を裏切らない原作に本当に楽しく翻訳することができました。
読者の皆様、長時間のご拝読ありがとうございました。
次回の長編作品についてもご期待ください。引き続きよろしくお願いします!

2021年9月6日月曜日

リアルプロイセン・ガールズ






プロイセンは、現在のドイツの中で最も大きなの国であり、領土の北側を占め、ベルリンを首都としていました。

歴史の説明は省略しますが、プロイセンの社会は厳格で、軍国主義的で、規律を重んじる国でした。

この姿勢は女性の育成にも及び、特にユンカー(貴族)階級の女性は、厳しい夫を見つけるまでは、家庭での厳しい躾のもとに生活し、貞操と規律を守ることが求められていました。

プロイセンで行われていた女性への躾は、実際には、ロシアやチェコなどの東欧諸国でも見られるように、日常的に「妻の尻を叩くこと」でした。

プロイセンの社会が、バイエルンや他のドイツの州のドイツ人に比べて、規律を重んじていたという確たる証拠はほとんどありませんが、17世紀以前から20世紀に至るまでヨーロッパに蔓延していた規律に対する考え方を確立したのはに、間違いなくプロイセンでした。


PNデドーの小説『プロイセンの娘たち』(ハンス・ブラウンが描いた下の図)は、もちろん尻叩き好きの間で評判の小説で、その地位を確固たるものにしていました。

この小説を読んだことのある人は、その性的探求がしばしば過激なものになることでも知られています。



『プロイセンの娘たち』は、1931年の『制服を着た少女たち』などのドイツ映画や、あまり知られていない同時代の映画に登場するタイプの女子校を鮮明に描いています。

もちろん、真のユンカーの乙女は学校には行かず、家庭教師の厳しい躾を受けていたことでしょう。


家庭によって当然、状況は異なるとは思いますが、ここに興味深い記述があります。

1836年、プロイセンのある家庭では、かつて流行っていたフランス人家庭教師は、優しすぎるという理由で敬遠され、スコットランド人家庭教師を雇ようになっていました。

英国の家庭教師の主な目的は、良家の子女に今まで以上に重要となった英語を教えることでしたが、英国人、特にスコットランドの教育者の多くは、体罰をあまり好まなかったようです。


エリザベス・キャンベルは、家庭教師として働くために、ケーニヒスベルク郊外の大きなお屋敷に赴任しました。

そして、彼女が受け持つこととなった娘たちは一番若い娘がもうすぐ17歳で、姉たちが19歳と20歳であることにとても驚きました。

しかし英国では家庭教師をつける年齢として常識的なものでした。

彼女の説明によると、彼女は「娘たちの裸の尻を硬いスリッパで打ち据える」ことや、「必要とあらば、娘を丸裸にして白樺のバーチで長時間打ち据える」ことも厭わなかったようです。

また、20歳以上の女性に「立派な尻叩き」をすることにも反対ではありませんでした。「浮ついた大きな尻の娘たちは、一般的にいたずらや反抗な態度に走りがちである」というのが彼女の持論でした。

彼女が驚いたのは、これらのお仕置きのために専用の部屋が用意されていて、そこには「拘束したり、剥き出しの尻を打つための、ありとあらゆる種類の笞、鞭、ストラップ」があったことだった。

さらに、彼女はその規則の厳しさにも驚いた。

最初、彼女は「いくつかの規制は、極端に些細なもので、確かに罰せられるに値しないものと思うかもしれない。」しかし、彼女はすぐに「プロセイン流」傾倒し、鞭打つことを惜しまなくなったと語っている。

詳細については不明ですが、尻叩きは日常的に行われていたようで、「あの部屋」に行くことも珍しいことではなかったようです。

当時のプロイセン人家庭教師は、「若い女性でも尻を鞭で打つ」ことや「食事の時間に座れなくするために尻が腫れ上がるまで笞打つ」ことも躊躇しなかったようです。

「涙を誘う程度の尻打ちは必須だが、血を流すほどの尻打ちも時には必要だ」と言っていたのが印象的だったと語っています。

これらの家庭教師は良家の出身で、実家に住んでいる限り、同じような扱いを受けていたそうです。


1920年代のベルリンのふしだらな踊り子は、少女時代から父親に「歌う」まで丸出しの尻に鞭打ちの線を入れられたと語っています。

「今でも、私を見たらきっとそうするでしょうね(笑)」と彼女は尻をこちらに向けて、ウインクしながら付け加えた。


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2021年8月31日火曜日

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【Teaser】リジー・ベインズ④:1950年代のお尻を叩かれた妻の物語 <8月31日公開>

ハロウィンパーティーでの4人の悪戯娘(?)へのお仕置きは確実に行われた。

四者四様のお仕置きの描写が秀逸だと思いました。前回から同様、訳者の憧れるシチュエーションは続く。

完全にベインズ家の嫁となったリジー。そんなリジーは「いけない遊び」を覚えてしまいます。

迂闊にもそんな「いけない遊び」をママに見つかってしまうリジー!

当然、その後行われたのは…

今回もたくさんの「尻」が出てきます!「ビシッ!」







【Teaser】リジー・ベインズ⑤:1950年代のお尻を叩かれた妻の物語 <9月1日公開>

「いけない遊び」を見つかって、ママにたっぷりお仕置きされたリジー。

自分の部屋で痛め付けられたお尻を庇いながら過ごしていると、そこにやってきたのは次女のシンディでした。

シンディはリジーの可哀想なお尻を癒してあげながら、更にいけない遊びをリジーと行うのです。

これ以外にアメリアとその悪友達によるいじめへのお仕置きなど、今回も様々な表情の「お尻」が出てきます。

是非、ご拝読ください!「ビシッ!」





2021年8月23日月曜日

 平牙人考①


このブログの冒頭に、私の性癖について概略を述べさせてもらった訳ですが、私のこの厄介な性癖を「性癖」であると認識させてもらい、天涯孤独の変態的な嗜好ではないと認知させてもらえたのが、故平牙人先生(以下敬称略)の存在でした。


性癖を持つほとんど全ての人は平牙人氏の名前に必ず触れてらっしゃると思うので、氏自身のことは特に記述しませんし、私自身も氏にお会いしたこともありませんし、お顔も知りません。よって、面識のある方からはご批判をいただくかもしれませんが、ご容赦ください。


ただ、私が中学から高校に進学するタイミングで氏の作品に出会い、氏の世界観に深く引き込まれていった衝撃は今でも胸が苦しくなるほど鮮明に覚えています。その作品は、日本ではじめての本格的なスパンキングビデオを名打たれ、三和出版(株)から発表された「ママのおしおきはお尻叩き」(1995年)でした。


当時はアダルトビデオが全盛の時代。まだnetも当然なく、私が住む田舎の街にもレンタルビデオ店がいくつかでき、AV嬢なんて言葉もあり、深夜のTVではそのAV嬢たちが惜しげもなく「乳」を曝け出していたのを覚えています。しかしそこに私が欲望のままに探求する世界はありませんでした。


当時、未成年であった私は、TVで放送されるバライティ番組、ドラマや歌番組などでタレントや女優・アイドルなどが、お尻について言及するシーンやお尻を振る振付などに興奮し、目に焼き付けることしかできませんでした。「お仕置き」や「お尻叩き」への言及は皆無に等しかったですが、ごく稀にそのようなシーンや言及があった場合は、どうにかその素材を自分のものにできないかと録音や録画を試みていたことを覚えています。(ほとんどは手元に残すことは出来ませんでしたが…)切ない時代でした。


そのような時代、私も世の中にSMというジャンルがあり、女王様という全身エナメルの衣装に身を包んだ女性が鞭を振るう世界があることは知っていましたが、それもまた自分の求める世界ではありませんでした。

私が住んでいた田舎では、今は見かけなくなったが全国チェーンでないローカルのコンビニがあり、都会地で売れ残った所謂「エロ本」が廉価に売られていました。沢山のSM系のものもあり、私はその中にあった「SMスナイパー」を購入したのです。(未成年だったのでかなり不可解に思われたに違いありません。)

「SMスナイパー」は全身エナメルの所謂SMがほとんどでしたが、日常によせたグラビアもあり各号1頁くらいは「お仕置き」「お尻叩き」のようなニッチなジャンルを扱う頁もありました。

その中に突然その作品の広告は入っていました。所謂OTKの姿勢で日常のコスチューム、丸出しの女子高生or中学生の大きなお尻と苦痛と羞恥に歪む横顔、振り上げられたママ(小川真美)さんの右手。タイトルは「ママのおしおきはお尻叩き」全てが私が憧れるそのシーンが具現化されて飛び込んできたのです。それは本当に衝撃でした。

監修は平牙人。私はこの名前に激しく興味を持ちました。





2021年8月1日日曜日

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リジー・ベインズ②:1950年代のお尻を叩かれた妻の物語
結婚早々、夫のジョージは戦地に赴くこととなり、ルイジニアのジョージの実家に1人取り残されることになったリジー。
夫ジョージに会えない寂しさから、イライラし、ママからキツいお仕置きを受けてしまう。
これに憤慨したリジーは家出を決行!しかし、ママの愛情から土壇場のところで家出を思い留まるリジー。
帰ってきた実家で待っていたのは当然…
リジーへの初めての本格的なベインズ家の笞のお仕置きが展開されます。「ビシッ!」



リジー・ベインズ③:1950年代のお尻を叩かれた妻の物語
ようやくベインズ家での生活にも慣れてきたリジー。
ベインズ家の先輩兄嫁であるメアリー・ジェーンとベインズ家の躾の厳しさを語り合うまでになり、自分の潜在的な好奇心を徐々に知ることになります。
そして行われたベインズ家のハロウィンパーティー。そのパーティーでとある事件が起こります!
この作品で訳者本人が最も憧れるシチュエーションが展開されます。
たくさんの「尻」が出てきますよ!乞うご期待!「ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!」


あるレディーズ・コンパニオンの思い出(前編) さあ、今回から新しいシリーズの始まりです。 今回のテーマは「レディーズ・コンパニオン」です。 「レディーズ・コンパニオン」なんて聞き馴染みのないテーマですよね。 簡単に言うとお金持ちのご婦人と金で雇われた年下の介添人といったところでし...