カナダの尻叩き哲学
珍しい記事があったので、翻訳掲載いたします。
この記事は、「A Voice in the Corner」に掲載されていたもので。
このソースは、「カナダの野生の東」と題された、WOODSHED REMISINECencesの投稿から引用です。
舞台は1920年代から30年代のノバスコシア州の「家族農場のコミューン」。写真はイメージです。
「これらの時代は厳しい時代で、マナーを守らない場合には厳しい罰がありました。今では、若い男性に尻叩きをすることはあるかもしれませんが、それでもそれは恨みの種になってしまうこともあります。当時、12歳以上の少年たちは、他の未婚の女性たちと一緒に寝床に移され、男としてのあり方を学ぶことになっていました。女性たちは、乱暴な扱いを受けることが多かったよのですが、唯一の制裁は、乱暴が過ぎた悪戯者には、体の大きさに合わせた木の枝の束を背中に背負って、膝をついて大きな老木まで歩かせることでした。男たちの膝は大量に出血したそうです。」
「一方、女性の場合は別問題でした。当時は、未婚の女性や妻には、革鞭か杖笞の罰がありました。痛みによって覚えさせるというよりは、普段は隠している尻を裸にして与えることで、恥ずかしさによって覚えさせるということに重きが置かれていたようです。」
「大抵の場合、女性は、薪小屋に連れて行かれ可能な限り裸にされていました。 私が18歳か19歳の時、私たち姉妹にとって、日曜日に教会へ行った後はお仕置きの時間でした。帰ってくるとすぐに、母は私たちの服を脱がせました。私たちは動きにくいのでキャミソールを着ていませんでした。だからすぐにお尻は丸出しになりました。それから、大抵の場合は、ポーチの上で頭に両手を乗せ、下着なしでお尻を丸出しにして過ごすことになりました。他に周りに男性がいた場合には、炊事場で壁に向かって素っ裸で立たされることもありました。 だから、人前で裸にされることにはそれ程抵抗はありませんでした。ただ、お尻を鞭で打たれるのを見なられるのはとても恥ずかしかったです。」
「これは結婚するまで続きました。 マナーを守らせるため、母に鞭で躾けられた私は、今でも鞭の躾は必要だと考えています。兄弟がいなくても恥ずかしかったけど、いい教訓になりますし、自分の娘にも母と同じように鞭を使っています。」
「でも、時折、母が使う革鞭は厳しすぎて、座っていられないこともありました。 自分の娘を持つようになってからは、杖笞の方を好んで使いました。一度や二度は革鞭を使ったことはあったけれど、いくらマナーの悪いお転婆娘たちが憎たらしいほど大きなお尻をしていても、馬の尻を叩くみたいに革鞭で叩いては躾にならないですもの。杖笞で時間をかけて反省させるのが一番だと考えています。」
「当時、鞭の恩恵を受けなかった女はいなかったし、彼女たちは恨みもありません。- 今となっては残酷だったと思われるかもしれませんけど。」
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