ダンス(dance)
前回に引き続き今回も、以前紹介しましたCurious Pleasures: A Gentleman's Collection of Beastliness(奇妙な遊興: 紳士のための奇癖コレクション)から、「ダンス(dance)」について以下紹介いたします。
ダンス(dance)
それは、無邪気な娯楽を装った猟奇的な行為である。
確かに、ナポレオン戦争以前の少なくとも高貴な人々の間でのダンスは、礼節の範囲を超えない、洗練されたエチケットを備えた、控えめで礼儀正しいものであった。
確かに、ナポレオン戦争以前の少なくとも高貴な人々の間でのダンスは、礼節の範囲を超えない、洗練されたエチケットを備えた、控えめで礼儀正しいものであった。
しかし、ダンスの種類にワルツが登場して以来、ダンスは卑猥さをも纏った下劣なものへと、堕落の一途をたどっている。
堂々としたコティリオンや賑やかだが礼儀正しいクアドリラはなくなり、代わりにパートナー同士が普通の社会では考えられないような親密さで抱き合ったり、極めてみっともない方法で回転したり、一部には、極端に淫らなポーズをとったりするダンスも登場している。
種類としてはケークウォーク、マズルカ、ラケット、レドワなどがあるが、これらは言うまでもなく、すべて外国からもたらされたものである。
さらに行き過ぎた例としては、情熱的で陽気なヒスパニック民族が生んだダンスであるタンゴがある。
これは、最も異常な姿勢で人間の情熱を表現するものであり、夫婦の間でさえも不適切なものであると言えよう。
このようなことが、「娯楽」という名目で公の場で公然と行われており、キリスト教社会における身分の高い権威者でさえも、この行為を些細なことであり、取るに足らないものであると見なしているのである。
当然、このダンスに不快感を示し反対する人々もいる。
しかし、特に近頃の若い女性は、私の若い頃のように、高潔で分別のある者はほとんどいなくなり、利己的で、自らが周りの空気を悪くしていることに気付かない者が増えており、このダンスに熱狂している有り様である。
このようにダンスを通じて及ぼされる、愚かさ、不貞、放埓な振る舞いが、全ての英国人女性の誇りであるべき「控えめな美徳」を奪い去り、我々の社会と我々島国の民族に不利益をもたらしているのである。
当然、このダンスに不快感を示し反対する人々もいる。
しかし、特に近頃の若い女性は、私の若い頃のように、高潔で分別のある者はほとんどいなくなり、利己的で、自らが周りの空気を悪くしていることに気付かない者が増えており、このダンスに熱狂している有り様である。
このようにダンスを通じて及ぼされる、愚かさ、不貞、放埓な振る舞いが、全ての英国人女性の誇りであるべき「控えめな美徳」を奪い去り、我々の社会と我々島国の民族に不利益をもたらしているのである。
さらに、ダンスには、女性との必要以上の親交を深めるための汚い意図を孕んでおり、女性を口説くための道具として利用されている一面がある。
若い女性は、紳士からのダンスの誘いを断ることはできない。
それは不品行の罪になるからだ。
彼女の引き締まった若い体は、二人が床の上で戯れている間、彼に抱かれ、彼女の胸は彼の胸に押し付けられ、彼の手はおそらく、丸みを帯びた尻を鷲掴みするような低い位置に置かれることになるだろう。
そしてこれらの淫らな企みから、彼女たちは逃げることができないのだ。
さらに、かつて当たり前であった礼儀作法の多くは、今では完全に葬り去られている。
私の時代には、結婚している女性や若い女性は、どんな状況であっても一人で舞踏会に参加することはできず、相応な付き添い人が必要であった。
しかし今日では、名家の出身で極めて美しい娘であっても、夜中に新鮮な空気を吸いたいという理由で屋敷を抜け出したり、用事があると偽って誰もいない2階や3階に忍び込んだりして、庭や寝室にたまたま潜んでいた狼(=男)の餌食になってしまうこともあるのだ。
また、今は幸いにも閉鎖されて久しい、悪名高いクレモーン・ガーデンズのような不謹慎な施設だけでなく、偉人や善良な人々の私邸でもダンスは行われている。
まさにダンスとは、怪物のような存在である。
まさにダンスとは、怪物のような存在である。
私は個人的にはダンスは踊らない。
私は「踊り子」いわゆるプロのダンサーのことを、馬鹿げた不道徳な職業だと思っているし、まして、芸術だなどとは思っていない。
しかし、その踊りを見たことは何度かある。
よって、私の発言は決して無知から来ているものではないことを理解してもらいたい。
そこで、このテーマ全体に言える本質的な悪習慣を最終的に証明するために、私は全てのダンスやダンスに関する問題が陥りがちな、すなわち「公然たる堕落」を明らかにすることにする。
よって、これから述べるダンスとは、あからさまにエロティックな表現を目的としたものを示す。
私が見た最もひどい例は、当然、大英帝国から遠く離れた地域で行われていたものだった。
そこでは、薄黒い異教徒の乙女が、胸と脚を裸にして、あるいは最も極端な場合には真っ裸になって、数枚のガーゼの切れ端だけを身につけダンスを踊るのだ。
そして異常なまでの回旋で仲間を楽しませることも決して珍しくない。
私の主張を疑う者は、ザンジバルから200マイルほど内陸に入ったところにあるスシャマカンガという村を訪れてみて欲しい。
想像してみてほしい。磨き上げられたマホガニーのような肌、微笑むような豊かな唇、一目見ただけで淫らな気持ちにさせられる大きな茶色の目を持つ美しい少女たちが、昼間に身につけていたわずかな衣服を喜んで脱ぎ捨て、火の明かりの中を全裸で踊る姿を…
私は宣教師時代にこの村でこのダンスに出くわした。
健康的な若い体が汗でつやつや光り、印象的な胸と豊満な尻を振り乱すことで性欲は最高潮に高まる。すると彼女たちはお気に入りの男性に近づき、その男性と暗闇の中に消えて行き、すべての抑制を脱ぎ捨てて、肉欲に溺れるのだ。
私は毎朝、不幸な少女たちの魂と私自身の魂のために、じっくりと祈っていた。
このような行為は異教徒の地での出来事であり、キリスト教の良心からは考えられないと思われる方もいるかもしれない。
しかし、パリを訪れる人は、低所得者が多く住んでいる地区の家屋や劇場、路地のバーなどで、ほとんど同じような淫靡な光景を目にすることができる。
非常に残念な事態だ。
ここでは、「カンカン」と呼ばれるダンスが流行している。
聞くところによると、これはカドリーユが進化したものだそうだが、生き生きとした、そして本質的には貞淑なダンスが、どうしてここまで堕落してしまったのか、私には想像もつかない。
一人または数人の少女(私は30人もの少女が一列に並んでいるのを見たことがある。)が舞台上で踊り、大きく翻ったスカートを蹴り上げて、靴やストッキングなど、普段は隠れていて見ることのできない衣服を客に見せつける。
そして最近では、彼女たちが一斉に観客に向かって背を向け、女性がエロティックな行為に及ぶ状況を真似て尻を突き出し、スカートとペチコートをめくって見せるのである。
最もエスカレートしたケースでは、ドロワーズを左右に引き割り、生の尻を見せつけるものさえもある。
あまり環境の良くない地区にある店では、このダンスはさらに卑猥なものになる。
たとえば、パリのフォンテーヌ通り56番地にあるマダムF・Pの店では、少女たちはスカートの下に何も身に付けず、下半身を裸にして踊る。
たとえば、パリのフォンテーヌ通り56番地にあるマダムF・Pの店では、少女たちはスカートの下に何も身に付けず、下半身を裸にして踊る。
私が、ブローニュの居酒屋で特に酔っ払ったある夜、私はこのエスタミネット(卑猥なカフェ)を訪れたことがある。名前は忘れてしまったが、6人の少女たちは狭い室内に設えられた小さな舞台の上で激しく踊り、最終盤で6人の少女たちの列は、突然、尻を突き出したと思うと、自分の大きな尻を丸出しにし、脚を大きく開いて、自分の魅力を余すところなく見せつけたのだ。
私が椅子から転げ落ちるほどの衝撃を受けたことは言うまでもない。
その後、彼女たちは観客に加わる。
実際のところ、異教徒の乙女たちとの唯一の違いは、エスタミネットの少女たちが5フランを請求したのに対し、スシャマカンガの少女たちは無料であったということである。
しかしその後、ステージの上で行われる、この悪戯をしたカンカン娘たちのお尻に対して行われるマダムF・Pからの「お仕置きショー」については、なんとも愉快で非常に見応えのあるものであったが、今回のテーマにはそぐわないため、詳細は割愛することとする。
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