2022年3月25日金曜日

金曜日のズル休み

一年前に当ブログを立ち上げて以来、翻訳記事を中心にupして参りましたが、立ち上げ当初の記事を見ますと「音楽」「ドラマ」などについても掲載していたことを思い出しましたので、気まぐれに今回はそのような記事を。

以前にK-popアイドルのHyuna「Bubble pop!(2011)」の記事を掲載させていただきました。

今回もK-popのアイドルの楽曲及びパフォーマンスからGirl's Dayの「Ring My Bell(2015)」です。

Girl's Dayは4人組のアイドルグループで、2010年代にK-popの世界で活躍していました。現在も解散したのかどうかは、私自身よくわかりませんが、10年代にはセクシーよりのダンスで人気を博していたことを記憶しています。

さて、この「Ring My Bell(2015)」のパフォーマンスでなんと言っても特徴的なのは「乗馬ダンス」と呼ばれるダンスです。

片手は手綱を握ったように前に突き出し、もう一方の手で自分の尻を何度も引っ叩くというパフォーマンスです。

当時、K-popを漁りに漁っていた自分としては、かなり衝撃を受けました。ぜひ以下をMVをご覧ください。









若い娘が4人一斉に自分の尻を叩きながら、踊る姿はとても下品ながら、尻好きには堪らない光景です。

昨今のK-pop作品は、正統派というのか、いわゆる「下品なセクシーさ」が失われつつあるのが、悲しいところです。

何事も、模索し、挑戦ている段階に興味深いものが埋もれているということでしょうか。

また、気が向きましたら、このような軽めのテーマでの記事を投稿させていただきます。

よろしくお願いします。ビシッ!

2022年3月18日金曜日

ダンス(dance)

前回に引き続き今回も、以前紹介しましたCurious Pleasures: A Gentleman's Collection of Beastliness(奇妙な遊興: 紳士のための奇癖コレクション)から、「ダンス(dance)」について以下紹介いたします。

ダンス(dance)

それは、無邪気な娯楽を装った猟奇的な行為である。
確かに、ナポレオン戦争以前の少なくとも高貴な人々の間でのダンスは、礼節の範囲を超えない、洗練されたエチケットを備えた、控えめで礼儀正しいものであった。

しかし、ダンスの種類にワルツが登場して以来、ダンスは卑猥さをも纏った下劣なものへと、堕落の一途をたどっている。
堂々としたコティリオンや賑やかだが礼儀正しいクアドリラはなくなり、代わりにパートナー同士が普通の社会では考えられないような親密さで抱き合ったり、極めてみっともない方法で回転したり、一部には、極端に淫らなポーズをとったりするダンスも登場している。
種類としてはケークウォーク、マズルカ、ラケット、レドワなどがあるが、これらは言うまでもなく、すべて外国からもたらされたものである。

さらに行き過ぎた例としては、情熱的で陽気なヒスパニック民族が生んだダンスであるタンゴがある。
これは、最も異常な姿勢で人間の情熱を表現するものであり、夫婦の間でさえも不適切なものであると言えよう。

このようなことが、「娯楽」という名目で公の場で公然と行われており、キリスト教社会における身分の高い権威者でさえも、この行為を些細なことであり、取るに足らないものであると見なしているのである。
当然、このダンスに不快感を示し反対する人々もいる。
しかし、特に近頃の若い女性は、私の若い頃のように、高潔で分別のある者はほとんどいなくなり、利己的で、自らが周りの空気を悪くしていることに気付かない者が増えており、このダンスに熱狂している有り様である。
このようにダンスを通じて及ぼされる、愚かさ、不貞、放埓な振る舞いが、全ての英国人女性の誇りであるべき「控えめな美徳」を奪い去り、我々の社会と我々島国の民族に不利益をもたらしているのである。

さらに、ダンスには、女性との必要以上の親交を深めるための汚い意図を孕んでおり、女性を口説くための道具として利用されている一面がある。
若い女性は、紳士からのダンスの誘いを断ることはできない。
それは不品行の罪になるからだ。
彼女の引き締まった若い体は、二人が床の上で戯れている間、彼に抱かれ、彼女の胸は彼の胸に押し付けられ、彼の手はおそらく、丸みを帯びた尻を鷲掴みするような低い位置に置かれることになるだろう。
そしてこれらの淫らな企みから、彼女たちは逃げることができないのだ。
さらに、かつて当たり前であった礼儀作法の多くは、今では完全に葬り去られている。
私の時代には、結婚している女性や若い女性は、どんな状況であっても一人で舞踏会に参加することはできず、相応な付き添い人が必要であった。
しかし今日では、名家の出身で極めて美しい娘であっても、夜中に新鮮な空気を吸いたいという理由で屋敷を抜け出したり、用事があると偽って誰もいない2階や3階に忍び込んだりして、庭や寝室にたまたま潜んでいた狼(=男)の餌食になってしまうこともあるのだ。
また、今は幸いにも閉鎖されて久しい、悪名高いクレモーン・ガーデンズのような不謹慎な施設だけでなく、偉人や善良な人々の私邸でもダンスは行われている。
まさにダンスとは、怪物のような存在である。

私は個人的にはダンスは踊らない。
私は「踊り子」いわゆるプロのダンサーのことを、馬鹿げた不道徳な職業だと思っているし、まして、芸術だなどとは思っていない。
しかし、その踊りを見たことは何度かある。
よって、私の発言は決して無知から来ているものではないことを理解してもらいたい。
そこで、このテーマ全体に言える本質的な悪習慣を最終的に証明するために、私は全てのダンスやダンスに関する問題が陥りがちな、すなわち「公然たる堕落」を明らかにすることにする。
よって、これから述べるダンスとは、あからさまにエロティックな表現を目的としたものを示す。

私が見た最もひどい例は、当然、大英帝国から遠く離れた地域で行われていたものだった。
そこでは、薄黒い異教徒の乙女が、胸と脚を裸にして、あるいは最も極端な場合には真っ裸になって、数枚のガーゼの切れ端だけを身につけダンスを踊るのだ。
そして異常なまでの回旋で仲間を楽しませることも決して珍しくない。
私の主張を疑う者は、ザンジバルから200マイルほど内陸に入ったところにあるスシャマカンガという村を訪れてみて欲しい。
想像してみてほしい。磨き上げられたマホガニーのような肌、微笑むような豊かな唇、一目見ただけで淫らな気持ちにさせられる大きな茶色の目を持つ美しい少女たちが、昼間に身につけていたわずかな衣服を喜んで脱ぎ捨て、火の明かりの中を全裸で踊る姿を…
私は宣教師時代にこの村でこのダンスに出くわした。
健康的な若い体が汗でつやつや光り、印象的な胸と豊満な尻を振り乱すことで性欲は最高潮に高まる。すると彼女たちはお気に入りの男性に近づき、その男性と暗闇の中に消えて行き、すべての抑制を脱ぎ捨てて、肉欲に溺れるのだ。
私は毎朝、不幸な少女たちの魂と私自身の魂のために、じっくりと祈っていた。

このような行為は異教徒の地での出来事であり、キリスト教の良心からは考えられないと思われる方もいるかもしれない。
しかし、パリを訪れる人は、低所得者が多く住んでいる地区の家屋や劇場、路地のバーなどで、ほとんど同じような淫靡な光景を目にすることができる。
非常に残念な事態だ。

ここでは、「カンカン」と呼ばれるダンスが流行している。
聞くところによると、これはカドリーユが進化したものだそうだが、生き生きとした、そして本質的には貞淑なダンスが、どうしてここまで堕落してしまったのか、私には想像もつかない。
一人または数人の少女(私は30人もの少女が一列に並んでいるのを見たことがある。)が舞台上で踊り、大きく翻ったスカートを蹴り上げて、靴やストッキングなど、普段は隠れていて見ることのできない衣服を客に見せつける。

そして最近では、彼女たちが一斉に観客に向かって背を向け、女性がエロティックな行為に及ぶ状況を真似て尻を突き出し、スカートとペチコートをめくって見せるのである。
最もエスカレートしたケースでは、ドロワーズを左右に引き割り、生の尻を見せつけるものさえもある。

あまり環境の良くない地区にある店では、このダンスはさらに卑猥なものになる。
たとえば、パリのフォンテーヌ通り56番地にあるマダムF・Pの店では、少女たちはスカートの下に何も身に付けず、下半身を裸にして踊る。





私が、ブローニュの居酒屋で特に酔っ払ったある夜、私はこのエスタミネット(卑猥なカフェ)を訪れたことがある。名前は忘れてしまったが、6人の少女たちは狭い室内に設えられた小さな舞台の上で激しく踊り、最終盤で6人の少女たちの列は、突然、尻を突き出したと思うと、自分の大きな尻を丸出しにし、脚を大きく開いて、自分の魅力を余すところなく見せつけたのだ。
私が椅子から転げ落ちるほどの衝撃を受けたことは言うまでもない。
その後、彼女たちは観客に加わる。
実際のところ、異教徒の乙女たちとの唯一の違いは、エスタミネットの少女たちが5フランを請求したのに対し、スシャマカンガの少女たちは無料であったということである。

しかしその後、ステージの上で行われる、この悪戯をしたカンカン娘たちのお尻に対して行われるマダムFPからの「お仕置きショー」については、なんとも愉快で非常に見応えのあるものであったが、今回のテーマにはそぐわないため、詳細は割愛することとする。




2022年3月11日金曜日

コンパニオン (Companion)

本日も、以前紹介しましたCurious Pleasures: A Gentleman's Collection of Beastliness(奇妙な遊興: 紳士のための奇癖コレクション)から、「コンパニオンCompanion)」について以下紹介いたします。

コンパニオン (Companion)

一般的には雇い主に付き添い、晩餐会や会議などで賓客への説明や案内を行う職業であり、決して非難されるべき職業ではない。
しかし、特に若い女性がこの職業に雇われる前には、将来の雇用主が非の打ちどころのない人物であることを確認し、慎重にアプローチすべきであるということを示唆したい。

コンパニオンは職業柄、全面的に雇い主に依存することになる。
雇い主の邸宅から遠く離れた場所に付き添うことが多く、外国に行く場合もある。
その場合、現地の言葉を話すことができず、うまく意思疎通ができない場合もある。
通常であれば、このようなことを心配する必要はないが、外国のような非日常の状況下では、若い女性は自分自身を危うくしたり、自分への誘惑を防ぐことができなかったりすることがある。
そしてときには、自分が保護を求めるべき雇い主に誘われて野獣のように襲われることもあるのだ。

2つの例を挙げてみよう。
Miss L・Mは、スコットランドのキンカーディンシャーにある、貧しいながらも立派な家に生まれた若い女性で、このような職業に就くことの多い典型的な階級の女性であった。
彼女の両親はキリスト教の教えを敬虔に守り、彼女は人間の肉欲的な罪や人体の悪用について何も知らず、美しい無垢な心を持っていた。
成人すると、彼女はS伯爵に雇われ、彼の長女であるLady Kのコンパニオンとして働くことになった。
スコットランド北部の冬の夜は長く、気候は明らかに鬱屈としていた。
Miss L・Mは、「あなたとベッドを共にしたい。」というLady Kからの提案を、仕事と割り切って受け入れた。
彼女がLady Kの行動をどう見ていたかは定かではないが、私は慈悲深く、彼女が極めて無邪気に同意したと考えていた。
彼女はおそらく、このハイランド地方では、寝る前にこれから犯す罪を想定し、罰として尻を優しく叩かれるのが、一般的な習慣なのだと思っていたのだろう。
彼女は、従順なコンパニオンとして言われたとおりにすべきだと考え、Lady Kが彼女を裸で部屋中を走り回らせる習慣を、単なる風変わりなものとして受け入れていたのだろう。
もしかしたら、ベッドの上で舌を使って淫らな行為をするように言われたことも、雇用主からの合理的な要求だと考えていたのかもしれない。

確かなことは、5年という短い期間に、彼女が無垢で貞淑な少女から、私がこれまでに出会った中で最も淫らではしたないサフィストの一人に変わってしまったということである。

同じく教訓的な例として、Miss.R・Mの話がある。
彼女は、使用人を専門に扱う会社を通じて、D夫人と名乗る人物のコンパニオンとしての職を得た。
D夫人は中年の大柄な女性で、少なくとも英国にいる間は、他のどの女性よりも立派に見えていた。
あるとき、南ドイツのバーデン・バーデンという温泉地にD夫人に付き添って行くこととなった。旅の最中、Miss.R・Mは、ベッドで服を脱いているときに感じる雇い主の気配に気付いた。

そして、彼女はノイシュタット・アン・デア・ヴァインストローゼで、D夫人が実は男性で、名前をMr G・Sと言い、最初から彼女を誘惑しようとしていたという恐ろしい事実を知ってしまうのだ。
しかし、その時にはもう手遅れで、彼女は彼に体の隅々まで見られてしまい、彼の策略に屈するしかなかった。
彼の欲望を満たした彼女に、Mr G・Sの興味はなくなってしまい、遠く南ドイツの地で彼女は捨てられた。

たまたま当時この地域の調査をしていた私が、ドイツ語で書かれた資料を理解できずに悩んでいたところに、ドイツ語の堪能な英国人の彼女がいたため、私は彼女を家に帰すことができたことは幸運なことだったと今でも思っている。




2022年3月4日金曜日

パリ、娼婦の館(書籍紹介)

本日は、フランス文学者の鹿島茂氏著「パリ、娼婦の館 メゾン・クローズ」の紹介です。

この書籍は現代知仏家(パリ)の第一人者である鹿島茂氏が19世紀から20世紀初頭のパリにおける娼婦、娼館、キャバレーの歴史や風俗について語った作品です。

パリの娼館でまずピンと来るのは「メゾン・クローズ」、キャバレーとしてピンとくるのは「ムーラン・ルージュ」というのが、読者諸氏も同様だと思います。

私自身もこれらの名前は知っていましたが、フランス、パリにおける性風俗の歴史・事情についてはほとんど知識がありませんでした。

何気なく手に取ったこの作品は、とても詳しく「メゾン・クローズ」の経営、娼婦とは何か、娼館の日常、ムーラン・ルージュを代表とする「キャバレー」での催し、ダンス、遊び方などについて言及されています。

特に興味深かったのは、いわゆる「活人画」への言及でした。

「覗き魔(ヴォワユール)」に特化した性癖を満たすために催されるアトラクションです。その中でも娼婦たちを女子修道院附属学校の生徒たちに見立てた「お仕置きの時間」の記述でした。

詳細は、本書をお読みいただくとして、概要としては、複数の娼婦たちが生徒に扮し、ステージ上で並べられ、客前でお尻を剥き出しにして、鞭で打たれるという出し物であったようです。

詳しい記述はないもののシナリオもしっかりしており、舞台装飾も拘っているようで、写真も掲載されていました。

しかも当時、人気の演目だったそうです。

「鞭打ち」といえば、英国のヴィクトリア時代というのがまず浮かぶのですが、ヴィクトリア時代のヨーロッパでは、各国それぞれに「鞭打ち」「お仕置き」の風俗があったのですね。

凝ったシナリオで、下着を付けない、丸出しの尻をお仕置きするシーンを生で見ることができるなんて羨ましいですね。

私だったら、もし、そんなお店が現代にもあったなら、必ず訪ねてしまうでしょう。

ちなみこの文庫には「パリ、娼婦の街」という対の作品もあります。お仕置きの記載はなかったと思いますが、こちらも興味深くて、一気に読み干してしまいました。

興味をお持ちになられた方は是非。








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