2021年4月15日木曜日

C.P.の歴史における瞬間 - 第11回:ジャンヌ・デュ・バリーとキャロライン・ド・ローゼン

ポール・メルローズのシリーズ第11弾「Februs 42」より


 後のデュ・バリー伯爵夫人は、1743年8月19日、フランスのヴォークールで、アニー・ベクというパティシエとの間の婚外子として、ジャンヌ・ベクという名で生まれました。

 ジャンヌの父親は、ヴォーベルニエのジャン・バティスト・ゴーマンという名前の男で、地元の修道院で修道女の精神的なアドバイザーを務めていた修道士でした。アニー・ベクの恋人であったとも言われています。


 父である修道士の影響で、ジャンヌはパリのサン・アウレ修道院で良質な教育を受けていました。

 15歳で学校を中退したジャンヌは、裕福で影響力のある人々の下で女中として働き、いつの間にかパリの貴族にも近づくことができるようになっていました。

 1763年、ジャン・デュ・バリーという悪名高い極道者と出会い、やがて彼の愛人となりました。

 ジャン・デュ・バリーはパリでは「下劣なジャン」と呼ばれ、ジャンヌ・ベクも含めて愛人を売春させて働かせるのが常であったため、警察から頻繁に事情聴取を受けていました。

 友人に書かれた日記によると、ジャンヌは自分が陥った堕落した生活を嫌悪し、もっと立派になりたいと思い始めていたようです。


 1768年、ジャンヌ・べクは宮廷で、ルイ15世の目に留まり、すぐに彼女を愛人にしようとしました。

 当時の慣習では、ゴシップを避けるために、愛人は既婚女性でなければならないと定められており、夫と一緒に宮廷に入り、夫は国王が自分の妻と情事を結んでいる間、辛抱強く待っていなければなりませんでした。

 このようにして宮廷礼儀が守られていたのです。

 こうしてジャンヌ・ベクは、ルイ15世の多くの愛人の一人となるために、彼女の愛人であるジャンの弟であるギョーム・バリーと結婚しました。

 このようにして彼女の将来は確実なものとなり、彼女は影響力のある女性となリました。


 ジャンヌ・デュ・バリーは芸術家のパトロンとなり、芸術家や知識人の後見人として知られるようになりました。

 彼女は魅力的で妖艶な女性で、強い情熱と忍耐力を持っていました。

 気さくで明るい性格のため、沢山の友人ができましたが、嫉妬心も強く、人の不幸を楽しむ面もあったため、友人を失うことも多かったと言われています。


 デュ・バリー伯爵夫人が宮廷で得た多くの人脈の中には、プロヴァンス伯爵夫人と10代のキャロライン侯爵夫人が含まれていました。

 二人の伯爵夫人の間には、せいぜい友好的な関係しかありませんでしたが、ジャンヌ・デュ・バリーは、初対面の時に18歳か19歳だったプロヴァンス伯爵夫人の若くて可愛い侍女にすぐに愛着を持ちました。

 若い侯爵夫人は、快活なジャンヌ・デュ・バリーと一緒にいることに喜びを感じていました。

 そのため、二人は親しくなり、若いキャロラインはいつもデュ・バリーの社交行事のゲストリストに名を連ねていました。

 若い侯爵夫人は友人たちに、自分はジャンヌ・デュ・バリーのお気に入りの一人であり、いつも近くにいて、きらびやかな舞踏会や社交の場には大抵一緒に出席していたと自慢していました。

 人間の嫉妬や独占欲を考えれば、このような牧歌的な存在がいつまでも続くわけもなく、プロヴァンス伯爵夫人は、キャロライン侯爵夫人とジャンヌ・デュ・バリーとの友情の芽生えに怒りを覚え、ついに二人に対して抗議するようになりました。

 プロヴァンス伯爵夫人は、キャロライン侯爵夫人に対して、「デュ・バリーとの親密な友情をやめるべきだ」と、はっきりと伝えました。

 プロヴァンス伯爵夫人の怒りを畏れた侯爵夫人は、以降、デュ・バリーの社交会の招待を無視し、愛人と一緒に宮殿に行かざるを得なくなると、ジャンヌ・デュ・バリーに冷たく当たるようになりました。


 ジャンヌはキャロライン侯爵夫人の態度に激怒し、ルイ15世に自分が受けた軽蔑の念を訴えました。

 国王は、おそらく冗談のつもりで仰ったのだと思われますが、侯爵夫人の「子供のような気まぐれな性格は大変大人気ない。」とし、「一度、笞の味見をさせてはどうか。」と提案しました。

 そして「子供であるキャロラインの若い尻が笞の味見をするのは当然のことだろう。」と笑っていたとされています。


 これを真に受け、怒ったジャンヌ・デュ・バリーは彼の言葉を鵜呑みにしました。

 彼女は若い侯爵夫人にメッセージを送り、翌朝、国王から宮廷での彼女の将来に関わる重要事柄について、秘密裏に伝えなければならないので、訪問できないかと尋ねました。そしてそのことは、彼女のためになるだろうとも付け加えましました。

 キャロラインは、その伝聞を真摯に受け止め、興味を持ち、愛人であるプロヴァンス伯爵夫人に言い訳をして、馬車に乗ってパリのデュ・バリーの豪華な館に向かいました。


 その間、ジャンヌ・デュ・バリーは王に、もし国王が秘密裏に到着して、ジャンヌ・デュ・バリーの寝室のカーテンの後ろに隠れていれば、面白いものが見られるかもしれないと伝えていました。国王は不思議には思いましたが、愛するジャンヌ・デュ・バリーの楽しそうな遊びの誘いに乗り、カーテンの後ろに身を隠しました。


 下の階では、ジャンヌと若い侯爵夫人が仲睦まじく朝食を共にすることで、明らかに和解が成立しているように見えました。

 食事が終わると、ジャンヌ・デュ・バリーは若い客人に、ジャンヌの寝室でキャロライン侯爵夫人の将来の宮廷での役割に関する重要な書類を渡すと伝えました。

 何も疑わず、キャロライン侯爵夫人はジャンヌ・デュ・バリー伯爵夫人の後を追って寝室に入っていくと、ドアは突然閉められ、4人の粗暴な侍女たちが若い侯爵夫人に掴みかかりました。  

 キャロライン侯爵夫人は、叫びながらベッドの上に引き上げられ、うつ伏せに投げ出されました。

 キャロライン侯爵夫人が恐怖と恥ずかしさに悲鳴を上げていると、ジャンヌ・デュ・バリーの一言で、彼女の長いスカートとペチコートが背中の高い位置まで捲り上げられ、お尻が丸見えになってしまいました。

 ジャンヌは彼女に、これはデュ・バリー伯爵夫人である自分をバカにした代償であり、今日の経験を経て、二度とそのようなことはしないようにと怒りを込めて言いました。


 カーテンの後ろに隠れていた国王の歓喜の目の前で、2人のメイドがもがき苦しむキャロラインを抱きかかえている間に、他の2人のメイドが樺の枝笞を手に取り、若い侯爵夫人の裸の尻を、皮膚が破れて血が太ももに流れるまで、ひどく打ちました。

 ジャンヌ・デュ・バリーは笞打ちを止めさせ、キャロライン侯爵夫人に起き上がるように命令しました。

 彼女はやっとのことで起き上がると、憤って泣きながら、馬車に乗って家に逃げ帰りました。

 キャロライン侯爵夫人は、愛人であるプロヴァンス伯爵夫人に事の顛末を話せば、彼女の約束を破ったことがバレ、さらに困ったことになるだろうと考え、直接国王にジャンヌ・デュ・バリーの扱いについての不満を手紙で伝えることにしました。

 彼女には同情的な返事が返ってきて、ジャンヌ・デュ・バリーを尋問すると言いたいところだが、そのためには、キャロライン自身が法廷に出て尻を捲って証拠を見せない限り、国王としても何もできないだろうとありました。

 このような屈辱的な提案に侯爵夫人は、自分の訴えが聞き入れられなかったことを悟り、次に何をすべきかを友人たちに助言を求めました。


 例外なく全員が、ジャンヌ・デュ・バリーと仲直りすべきであり、国王の寵愛を受ける伯爵夫人に寄り添い、伯爵夫人の強大な力に敬意を持って接するべきだと助言し、キャロラインはその助言に従いました。

 キャロラインはジャンヌに手紙を書き、過去の不義理を謝罪し、自分への懲らしめは報いに値するものではなかったと告白しました。


 自分の行動が成功したことを喜んだジャンヌは、若い友人の再会を喜び、プロヴァンス伯爵夫人が不愉快な思いをすることのないように、この友情を秘密裏に続けていくことに同意しました。

 1774年にルイ15世が亡くなると、ジャンヌ・デュ・バリーのフランスでの権威は失墜しました。

 しかし、長い間、権力を持つことのできなかった彼女は、フランスの新勢力であるブリサック公爵に求愛し、彼の長年の愛人となったのです。


 1789年、フランス革命が始まり、ジャンヌは宝石類を安全な銀行に保管するために、ロンドンに何度も足を運ぶようになりました。そして、彼女はイギリスにいる間、亡命した多くの貴族と接触しました。

 しかし、この行為は非常に危険であり、最終的には彼女自身を破滅させ、死に至らしめました。

 革命政府は彼女の行動を裏切り者とみなし、1793年、ジャンヌ・デュ・バリーは逮捕され、革命に反対する活動をした罪で起訴されました。


 彼女は死刑を宣告され、1793128日、50歳になったジャンヌ・デュ・バリー伯爵夫人はギロチンにかけられました。ギロチンに向かう途中、護送車の中で何度も倒れ、壇上から群衆に向かって「なぜ私を傷つけようとするの?」と壇上から群衆に向かって叫び、最終的には非常にヒステリックになり、彼女を抑えるのが困難になりました。

 彼女が最後に口にした言葉は、おそらく最も有名なもので、「アンコール・アン・モーメント、ムッシュ・ル・ブルロー、アン・プチ・モーメント」(「もうちょっとだけ、処刑人さん、ちょっとだけ」)と言った後、刃がその役目を果たしました。


spanking magazen storise から脚色翻訳


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