2022年6月30日木曜日

朝有紅顔 <第四部> エリザベート・バナーマンの学園生活② ~前編~

姐御肌のモードの卒業後、私くホールモニターになったミス・クラリッサ。
ホールモニターの権限と権威を最大限に活用して、下級生に理不尽な「笞」を振るいます。
当然、黙っていられない悪戯4人娘。
ミス・クラリッサの失脚を試みます。
果たして、その結末は…
今回もたくさんの娘たちの尻が腫れ上がります。
乞うご期待! ビシッ!

2022年6月24日金曜日

平牙人考③

平氏の作品を私が好きな理由の一つが、お仕置きの描写はもちろんだが、なんといってもそのメインどころのお仕置きシーン以外の日常の何気ない場面の自然の描写だ。
平氏の作品にはよく複数の女性(女の子)が登場する。1人目は清楚で真面目な女の子(主人公でお仕置き経験あり)、2人目は勝気でお転婆な女の子(お仕置き経験あり)、3人目は大人しめの女の子みたいな設定である。
私のお気に入りのシーンを幾つか紹介したい。
一つは、風俗資料館で閲覧した「エフィー」からである。(確か未完のまま終わっていると思う。)登場人物としては、「エフィー」(主人公)、「ウシー」(勝気な女の子)、「エレーナ」(気弱な女の子)である。
物語の中でお仕置き経験の薄い「エレーナ」が過剰にお仕置きを怖がり、見兼ねた先生が「」にエフィーとウシーのお仕置き経験を披露させるシーンがある。

(以下引用シスターとウシー)
「ウシー、お友達のために少しあなたのことをお話ししてくますか?」
「はい、先生」
「ありがとう。プライベートなことになりますが、エレーナのために聞くことですから許してね。まず・・・・あなたのお家には笞がありましたか?」
「ええ、もちろん」
「それでは当然、あなたも笞で打たれたことがあるのですね。」
「はい、兄と妹と私に弟、四人兄弟ですが、みんな父や母に罰の時は笞をもらいました」
「お兄様やお姉様が打たれているのを見たことがありますか」
「はい、兄は私と七つも年が離れているので、ずっと以前、私が八歳の時に、父に皮のベルトで打たれているのを見たことがあります。その時は怖くて泣いてしまったのです。兄の背中に赤い笞の跡が何本も刻まれてゆくのを、泣きながら見ていました。その後、兄は寄宿舎月の学校に行ってしまいましたので、兄のことはそれほど覚えていません。でも姉の場合は、私と三つ違いですから、よく知っています。姉は兄と遊んでいたせいで、とてもお転婆なんです。それで時々、母の部屋に行って罰をもらうことになるのです。その時母はたいてい、私と弟を呼んで、私たちの見ているところで姉を罰するのです。それは、とてもいい見せしめになると考えたからです。笞は皮のものと籐(とう)の両方ありました。軽い罰はいろいろありましたが、母の部屋に呼ばれた時は、もう笞を覚悟しなくてはならないのです。」
「なるほど、よくわかりました。それでお母様が叩くのは、主にどの部分でしたか?」
ウシーは、フフ・・・・と笑って、
「もちろんお尻ですわ。姉も私もうんざりする位母にお尻を叩かれて来ました」
「直接肌に笞をいただくのですか?」
「もし先生が下穿きのことを言ってらっしゃるのでしたら、母の部屋では脱がされてしまいます。お台所なんかで、ちょっとした罰の時は、さっきのようにブルーマの上から平手打ちされることはありました」
「あなたはどれ位・・・・たとえば月にどれ位お母様の笞をいただいたの」
「そうですねえ、最近は・・・・二か月に一度位だったと思います。でも二年位前までは、月に二回も三回も打たれたことがあります。」
「ありがとう、よく教えてくれたわ」

私はこのときのウシーの「もちろんお尻ですわ」の表現がたまらなく好きである。
お仕置きは日常にあり、それは当然「お尻」に与えられるものであることを堂々と語り、お仕置きのために人前で「尻」を曝け出すことは、特別なことではなく自然な行為であると訴えるのだ。
尻叩きのお仕置きが日常であることで、羞恥の対象である「お尻」に対する考え方が、女の子によりまちまちであり、「エレーナ」は「お尻」という言葉ですら恥ずかしくて発せないのに対し、ウシーは会話の様々な場面で「お尻」という言葉を表情豊かに連発する。
このような女の子の今後のストーリーをも想像してしまうのだ。「大人の女性になったとき」、「妻になったとき」、「母になったとき」、「女主人となったとき」後年の人生でのウシーの「お尻」の表現を聞いてみたいそう思えるのだ。(変態である)

2022年6月17日金曜日

1950年代のスパンキング

これは、1970年代初頭の「Pop Goes the Music」という雑誌の記事からです。
その記事はは音楽アーティストのインタビュー記事で、記事のほとんどは音楽に関することでした。

その中に「尻叩き」という小見出しで、以下の2つのケースが掲載されていました。

ジャクリン・ジャズというダンサーの語った言葉です。
「励ましの意味もあったのかもしれません。それは、私が大学を辞めてダンスを始めたことを父が知ったときのことでした。彼は私のお尻を思いっきり叩きました。私はもうすぐ21歳になる頃だったんですよ!自分でも信じられなかったのですが、父はそうは思っていなかったようです。でもダンサーは『お尻が命』。パパに鍛えてもらったお尻でセクシーなダンスを踊れるように練習に励みました。彼が私のショーを見に来てくれたのは4年後くらいでした。」

サイケデリックというグループのバック・シンガーであるエリザベス・アン・ディーは、50年代に自分が選んだ職業に対する故郷の反応を語ってくれました。
「当時の私の故郷では、高校を卒業した女の子でも、言葉遣いが悪かったり、いけないことをしたりするとお尻叩きのお仕置きを受けていたものよ。私の姉は、19歳のときにタバコを吸っているところを見つかって、お尻を丸出しにされて叩かれていわね。とはいえ、最初のツアーを終えて地元に帰ったときに、これほどの反応があるとは思わなかったわ。当時、私は19歳か20歳で、バスから降りると、ピチピチのスキニーパンツにフルメイクで大通りを颯爽と歩いていたのを覚えてるわ。当然、両親は快く思っていなかったわ。もちろん街中の人たちの視線も同様だったはずよ。でも自分ではかっこいいと思っていたのよ。すると高校時代の先生が車を横付けして「乗りなさい!」と言ってきたのよ。彼女は私を自分の家に連れて行き、運転している間中、私の容姿について私のことを罵っていたわ。」

「彼女の家について気がつくと、私は彼女の膝の上でお尻を振っていたわ。私が文句を言って『降ろして!』と彼女に抗議したんだけど、彼女は代わりに私のスキニーパンツとパンティを下ろして、お尻を丸出しにしてしまったのよ。そこから先は、彼女の気が済むまでたっぷりとお仕置きをされたわ。」
「その後、彼女は私を私の家まで送って行ってくれたんだけど、玄関先で『エリザベス。お母様に躾の跡をお見せなさい!』と言って、勢いよくスキニーパンツ降ろして真っ赤に腫れた私のお尻を丸出しにしたのよ。当然、その後は家でもママにヘアブラシでたっぷりやられたわ(泣)。」
「1日か2日は簡単に座れなかったけど、お仕置きされたなんて誰にも言わなかったし、先生にもママにも反論しなかったわ。当時はそういうものだったのよ(笑)。」



2022年6月10日金曜日

戦争の士気を高めるために…

ウクライナでの揉め事が起こる前にこのようなネット記事を見つけていましたので、翻訳いたします。
不謹慎な記事にならないことを願っています。



第二次世界大戦中、戦争の士気を高めるために多くの「尻叩き」のアングルが雑誌や新聞で使われました。

ウィンストン・チャーチルの娘は、従軍中にアメリカの陸軍士官にお尻を叩かれたそうです。
そのエピソードは後に新聞で英国の戦意高揚のためにその場面が再現され、多くの笑いを誘っていました。

また、夫が戦地に赴いたミス・チャップマンは、心配している夫の両親に電報を打つのを怠ったため、夫の両親から伝統的な方法でお尻を懲らしめられている場面が雑誌に掲載されました。

コミックにも「尻叩き」が描かれました。デイリーミラーに掲載されていた漫画のヒロインであるジェーンは、悪戯娘でよくお仕置きをされていました。
彼女が全裸で描かれた日に英国第8軍が大きく前進したと言われています。














2022年6月3日金曜日

尻叩きの簡単な歴史

ネット上に面白い記事があったので以下紹介いたします。

最近、あるフォーラムで、尻叩きやBDSMへの関心は、1950年代に出現し、1960年代の寛容な社会になってから受け入れられるようになったのではないか、という意見がありました。
確かに20世紀までは、「尻叩き」は一般的な性嗜好の形態とは考えられていなかったかもしれません。
しかし、「尻叩き」「鞭打ち」への性的な関心は長い歴史を持っていると言えるでしょう。
そしてそれは、その時代にふさわしい健全なものとして、偽装されていたのかもしれません。
例えば、古代エジプトでは、妻の乳房を叩くことは、それに値する場合を除いて禁じられていました。
しかし、尻を叩くことは神聖な義務であり、当然ながら彼女の人生の糧となると考えられていました。
エジプト人にはイシスというカルト宗教の教団がありました。
これは、神殿で女性を鞭打つことで神々を称えるという教義に基づいていました。
妻や娘、奴隷の女も、神々への畏敬を表すために、夫や母親、主人から鞭で打たれることを望んでいました。
鞭で打たれないことは不名誉なことだと考えられていたのかもしれません。
イシスの崇拝は後に古代ローマにも伝わり、元老院議員の妻たちは「宗教的なパーティー」において、神々を称えるために鞭で打たれました。
ローマ人自身も、独自の宗教的な鞭打ちの習慣を持っていました。
古代ローマの牧歌的な祭りである「ルペルカリア」では、2月に悪霊を追い出し、街を浄化して健康と豊穣をもたらすために女性が鞭打たれました。
ローマ人の間では女性の「尻を叩くこと」は妊娠を促すと信じられていたので、「尻を叩くこと」は豊穣を促すという意味でも最も重要な事柄でした。
若い女性は神殿に連れて行かれ、公衆の面前で尻を叩かれることで、妊娠しやすい体になると考えられていたのです。
旧共和国の時代には、結婚前の花嫁の母親が日常的に行っていました。
花嫁は母親に付き添われて神殿に行き、神々に捧げ物をして巫女の祝福を受けた後、母親の膝の上に乗せられ、平手の尻を叩かれるか、あるいは房鞭で激しく叩かれました。
女性の尻を叩くと妊娠しやすくなるということが深く浸透していたため、あるローマの将軍は同僚に「娘への鞭を惜しまないよう。」に注進したと言います。
ティベリウス自身も、元老院議員の妻や娘たちを淫らなパーティーに呼ぶときには、この言葉を正当化のために用いていました。
ビクトリア朝時代に征服者と呼ばれた「ウィリアム・ザ・バスタード」も、妻のマトリダと健全な尻叩きを楽しんでいたと言われています。
マトリダは、父親がウィルアムとの婚約を勝手に決めてきたことに腹を立て、「自分は非嫡出子と結婚するにはもったいない。」と抗議まし、彼との結婚を拒否したと言われています。
そのことを聞き付けたウィリアムは、彼女の家に乗り込んで、部下や近所の人たちの前でお仕置きをしたと言われています。
その後、彼は婚約を破棄することに同意しました。
しかし、彼女は「こんな強い男性と結婚できるなんて、女にとってこれほどの幸せはない。」と言って結婚を望むようになっていました。
言い伝えによれば、結婚後、彼は必要に応じて彼女の尻を叩いたそうです。
そして、彼女はそれに対して、いつも素直に尻を差し出したと言われています。
1533年から1589年の間、フランスの王妃兼摂政であったカトリーヌ・ド・メディチは、自分のメイドたちを厳しく躾けたと言われています。
彼女はメイドたち集め、裸にして、自分の楽しみのために尻を叩いたと言われています。
また、彼女は、自分の残酷さを批判した貴族の娘たちを宮廷で、侍女の膝の上でお仕置きをしたと言われています。
他にも、彼女が気に入らない侍女を全て集めて、宮廷全員の前で尻を丸出しにして鞭打ちしたという話も残っています。
一方、イギリスでは、後にメアリー1世となる10代のメアリー王女が、継母アン・ブーリンの命令で尻を叩かれていました。
些細なことでも怒られ、使用人に尻を叩かれていたと言われています。
また、アン自身がメアリーを押さえつけて尻に革のスリッパでお仕置きしたという話もあります。
その数年後には、将来のイングランド女王となるレディ・ジェーン・グレイも、父親の指示のもと母親や家庭教師からお仕置きを受けていたと言われています。
これは、ヘレナ・ボナム=カーターが出演した映画でもよく描かれていますが、実際にはジェーンは数ヶ月にわたって尻を鞭打ちされたと伝わっています。
レディー・ジェーンに対するこの扱いは当時としては、何も不思議なことではありませんでした。
当時、良家の女性はよく鞭で打たれました。
テューダー朝の紳士淑女の鞭打ちは、通常、長い回廊で行われました。
長い回廊とは、文字どおり、広くて長い廊下のような空間で、先祖の肖像画が飾られている部屋でした。
先祖の肖像画は不愉快そうに不届き者見下ろしていました。
不届者は先祖に対して、尻を見せながら、悔いを改めたのです。
しかし、家庭内規律に最も厳しかったのはロシア人でした。
進歩的なツァーリであるピョートル大帝(1672-1725)の治世でも、女性の尻は安全ではありませんでした。
ピョートルは「専制的な土地所有者に「鞭」による恣意的な支配」を推奨していました。
また、彼は最愛の妻エカテリーナを鞭打っていたと言われています。
彼女がそれをどう思っていたかは定かではありませんが、当時のロシアでは何世紀にもわたってごく普通に行われていました。
当時、10代の娘は父親の選んだ相手と結婚するのが普通の習慣でした。
その方法として、父親は娘を連れてきて、夫となる者を紹介します。
そして、父親は軽い鞭打ちを、時にはそうでない鞭打ちを行いました。
当然その鞭は娘の尻に与えられ、鞭打ちが終わると、その鞭を将来の夫に手渡しました。
ロシア正教会は、夫が妻を叩いて躾けることを公認し、奨励していました。
また、妻も鞭打たれることを期待していました。
もしそうでない場合は弱い夫だと考えられ、恥ずかしいことだとされました。
1556年にシルベスターという修道士が書いた『家事の掟』という結婚マニュアルでは、夫の言うことを聞かない妻は鞭で打たれるべきだと記述しています。
これは、女性の夫への服従についての厳しいルールを定めたもので、服従と忠誠を規定していました。
ロシアの法律では、不貞を働いた妻は首まで埋められて死ぬことになっていました。
18世紀のロシアでは、後に皇帝となる女帝エカテリーナが、夫の大好きなおもちゃの兵隊に穴をあける悪戯をしたときに、「軍務規律」に違反したとという罪で、多くの兵隊の前で夫から鞭で尻を打たれたと言われています。
数年後、恋人のマモノフが駆け落ちして16歳の女性と結婚したとき、エカテリーナは激怒しました。
エカテリーナは、女性に扮した秘密警察を派遣して2人を追跡させ、捕らえた少女を鞭を打たせたと言われています。
19世紀までのイギリス諸島では、親指よりも太くない杖であれば、妻を打ってもよいとされていました。
このことはよく知られていますが、サーク島でこの法律が廃止されたのは21世紀に入ってからであることはあまり知られていません。
上記のすべてが楽しい出来事ではなかったでしょう。しかしながら、4千年以上の歴史の中で、誰かが楽しんだことがあるはずです。

2022年6月1日水曜日

朝有紅顔 <第三部> エリザベート・バナーマンの学園生活① 〜後編〜

初めは嫌がっていた学園生活も、軌道に乗り始め、モードや友人たちとの友情に楽しみ始めたエリザベート。
それと同時に「尻叩き」も日常茶飯事の出来事へと変化して行きます。
そんな中、エリザベートを含む悪戯4人娘は、雑誌で見た有名俳優がケンブリッジ・ウェルズの街を訪れているという噂を信じ、学園を抜け出すことに。
当然、その代償は「尻叩き」!
目眩く「お仕置き」の場面展開は、「尻叩き」好きには必見です。
そして別れも…

学園生活前半戦の終幕です。
ビシッ!

あるレディーズ・コンパニオンの思い出(前編) さあ、今回から新しいシリーズの始まりです。 今回のテーマは「レディーズ・コンパニオン」です。 「レディーズ・コンパニオン」なんて聞き馴染みのないテーマですよね。 簡単に言うとお金持ちのご婦人と金で雇われた年下の介添人といったところでし...