2022年6月24日金曜日

平牙人考③

平氏の作品を私が好きな理由の一つが、お仕置きの描写はもちろんだが、なんといってもそのメインどころのお仕置きシーン以外の日常の何気ない場面の自然の描写だ。
平氏の作品にはよく複数の女性(女の子)が登場する。1人目は清楚で真面目な女の子(主人公でお仕置き経験あり)、2人目は勝気でお転婆な女の子(お仕置き経験あり)、3人目は大人しめの女の子みたいな設定である。
私のお気に入りのシーンを幾つか紹介したい。
一つは、風俗資料館で閲覧した「エフィー」からである。(確か未完のまま終わっていると思う。)登場人物としては、「エフィー」(主人公)、「ウシー」(勝気な女の子)、「エレーナ」(気弱な女の子)である。
物語の中でお仕置き経験の薄い「エレーナ」が過剰にお仕置きを怖がり、見兼ねた先生が「」にエフィーとウシーのお仕置き経験を披露させるシーンがある。

(以下引用シスターとウシー)
「ウシー、お友達のために少しあなたのことをお話ししてくますか?」
「はい、先生」
「ありがとう。プライベートなことになりますが、エレーナのために聞くことですから許してね。まず・・・・あなたのお家には笞がありましたか?」
「ええ、もちろん」
「それでは当然、あなたも笞で打たれたことがあるのですね。」
「はい、兄と妹と私に弟、四人兄弟ですが、みんな父や母に罰の時は笞をもらいました」
「お兄様やお姉様が打たれているのを見たことがありますか」
「はい、兄は私と七つも年が離れているので、ずっと以前、私が八歳の時に、父に皮のベルトで打たれているのを見たことがあります。その時は怖くて泣いてしまったのです。兄の背中に赤い笞の跡が何本も刻まれてゆくのを、泣きながら見ていました。その後、兄は寄宿舎月の学校に行ってしまいましたので、兄のことはそれほど覚えていません。でも姉の場合は、私と三つ違いですから、よく知っています。姉は兄と遊んでいたせいで、とてもお転婆なんです。それで時々、母の部屋に行って罰をもらうことになるのです。その時母はたいてい、私と弟を呼んで、私たちの見ているところで姉を罰するのです。それは、とてもいい見せしめになると考えたからです。笞は皮のものと籐(とう)の両方ありました。軽い罰はいろいろありましたが、母の部屋に呼ばれた時は、もう笞を覚悟しなくてはならないのです。」
「なるほど、よくわかりました。それでお母様が叩くのは、主にどの部分でしたか?」
ウシーは、フフ・・・・と笑って、
「もちろんお尻ですわ。姉も私もうんざりする位母にお尻を叩かれて来ました」
「直接肌に笞をいただくのですか?」
「もし先生が下穿きのことを言ってらっしゃるのでしたら、母の部屋では脱がされてしまいます。お台所なんかで、ちょっとした罰の時は、さっきのようにブルーマの上から平手打ちされることはありました」
「あなたはどれ位・・・・たとえば月にどれ位お母様の笞をいただいたの」
「そうですねえ、最近は・・・・二か月に一度位だったと思います。でも二年位前までは、月に二回も三回も打たれたことがあります。」
「ありがとう、よく教えてくれたわ」

私はこのときのウシーの「もちろんお尻ですわ」の表現がたまらなく好きである。
お仕置きは日常にあり、それは当然「お尻」に与えられるものであることを堂々と語り、お仕置きのために人前で「尻」を曝け出すことは、特別なことではなく自然な行為であると訴えるのだ。
尻叩きのお仕置きが日常であることで、羞恥の対象である「お尻」に対する考え方が、女の子によりまちまちであり、「エレーナ」は「お尻」という言葉ですら恥ずかしくて発せないのに対し、ウシーは会話の様々な場面で「お尻」という言葉を表情豊かに連発する。
このような女の子の今後のストーリーをも想像してしまうのだ。「大人の女性になったとき」、「妻になったとき」、「母になったとき」、「女主人となったとき」後年の人生でのウシーの「お尻」の表現を聞いてみたいそう思えるのだ。(変態である)

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