2021年11月14日日曜日

 平牙人考②


「平牙人」氏の名を知ってから、また「ママのおしおきはお尻たたき」という作品を知ってから、私は悶々とした日々を過ごした。当時未成年で田舎に住んでいた私には、それを入手することもできないし、netのなかったその時代、新しい情報も容易に手にすることはできなかったからだ。


読者の方には、不快に思われる方も当然いると思うが、私は鏡の前で自分の尻を剥き出しにし、それをあたかも女の子お尻であると思い込みながら、したたか叩き、痛みと共に自慰に至るという、切ない時期を2年間送ったことを今でも覚えている。


大学を受験することになり、迷わず東京の学校を受験した。それは、何をさておき当時、三和出版の全ての作品を扱っている「メンズクラブサンワ」(御徒町:閉店)があったことと、平牙人氏の作品が閲覧できる「風俗資料館」(神楽坂:移転前)があったからだ。


大学に入学し、上京した私は迷わず、「メンズクラブサンワ」へ向かい「ママのおしおきはお尻叩き」を購入した。正直、あまりにも待ちすぎ期待とイマジネーションが作品のそれを超えてしまっていたのと、もう一つの伝説の作品「おしおき倶楽部」(1995年)が創刊されており、このムックが映像作品を私の中で超えていたこともあり、期待外れであったことを覚えている。


特に「おしおき倶楽部」第一号の巻頭グラビア「やっぱり優しいママが好き」の制服の女の子であるナカタ・ユキコの丸々とした剥き出しの大きなお尻に小川真美さんのお仕置きの右手が打着し、尻を叩かれたの大きないい音が響き渡っている情景を容易に想像できるあの頁は未だに自分の頭の中で1番最初に思い浮かべるお仕置きグラビアだ。


また、上京して一月も立たないうちに、私は風俗資料館の会員にもなった。お恥ずかしい話、大人のサロンである当資料館の会費が払いきれず数ヶ月で退会することになり、その真髄をその当時に見極めることができなかったことを現在に至っても後悔しているが、平牙人氏の作品にもいくつか触れた。後年改めて複写を手に入れるのだが、「Gazetto」と「エフィ」だったと記憶しているが、興奮のあまりそれを読み終えることができなかったことを覚えている。(後述、これらの作品に関わらず平氏の作品の私の好きなフレーズや描写については記述していきたいと考えている。)


また、1人暮らしを始めた私にとって、田舎の閉鎖れた空間から解き放たれ、自由に「お仕置き」や「お尻」のことを楽しめるようになったことを、インターネットの普及が後押ししてくれたことは間違いない。最初にパソコンを手に入れnetの世界にアクセスしたのは1997年であったことを覚えている。


1995年以降、三和出版のマニア倶楽部において今後のnetの隆盛の予測が語られ始めており、平牙人氏がスパンキングに関するHPを立ち上げているとの情報を得ていたところであった。


当然、私は最初に平牙人氏のHPへアクセスしたわけである。(当時はインターネットの概念もよくわからず、周りに知る人もいず。URLを手打ちし、電話代を気にしながら、四苦八苦して平氏のHPにたどり着いたのを覚えている。)


平氏のHPは英語で辞書を引きながら閲覧していた。そこには今まで見たこともない「お尻」が私が思い描いている形でたくさん存在していた。また、その時はじめて海外には「スパンキング」というジャンルがあり、たくさんの愛好家がおり、「お仕置き」を楽しんでいることを知った。また、そのジャンルは歴史的にも古く、伝統的に愛されていることも知った。


そう自分は突然変異的にこの性癖になったわけではなく。自分の持っている性癖は奥行きがある文化であると認識できるようになった。孤独な気持ちから解放されたのだ。


そのHPには平氏の生の声(文章)もあり、たくさんの方々の小説も掲載され、私が求めていた性癖の欲求を満たしてくれた。そして「SP-CLUB」「TIGER-REVERIE」「Spanking Data Room」など日本人の方々の黎明期のスパンキングを題材としたHPに触れることもできた。(その時に触れ、現在も日々のポータルサイトとして利用している「Media-spanking」は本当に偉大な存在だと思う。)






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