日曜日の「お仕置き」
これはとある掲示板に掲載されていた投稿です。
私が少年だった頃 母は牧師と再婚をしました。
1950年代、それはとても清らかな時代だったと記憶しています。
牧師にはすでに2人の娘がいて、 2人とも私より年上でした。
私は11歳、娘たちは15歳か16歳、17歳くらいだったでしょうか。
新しい継父は躾に厳しくと子供たちに正しい行動を常に求めていました。
しかし、私はいつも喧嘩ばかりしていて、いつも罰を受けていました。
私の罰といえば、石炭小屋の壁磨きでした。
白いコンクリートが見えるようになるまで磨き落とさなければなりませんでした。
義父はこの罰は男の子にこそ適した罰であって、娘たちには不適切な罰だと思っていました。
しかし、少なくとも一度は、私をかばおうとした母が石炭小屋の掃除をさせられていたこともありました。
「子供の罰」を受けさせられた母が、彼を恨めしく思っていた顔を私はずっと覚えています。
継父の娘たちは日曜日の教会の後、いつも必ずお仕置きをされていました。
最初私は、彼女たちは床磨きなどの簡単な罰を受けているのだと思っていました。
しかし、すぐにそうではないことを知ることになりました。
また、私は歳を取るにつれて、姉たちの「お仕置き」に興味と関心を持つようになり、もっと知りたいと思うようになりました。
継父は写真立ての後ろに杖笞を置き、ホールには洋服ブラシを置いていました。
姉たちの教会の後のお仕置きは、決まってお尻叩きでした。
継父の膝の上で洋服ブラシで尻を叩かれるか、書斎の椅子に腹這いにさせられて,杖笞で尻を叩かれていました。
私が12歳くらいの時、庭から書斎の窓から、長女がお尻を丸出しにされてお仕置きを受けているのを覗いていたのを覚えています。
終わった時には酷く泣いていましたが、彼女は継父に抱きついていました。
少女とは言っても、体付きはもう立派な大人の女性の素っ裸のお尻を見たのはその時が初めてでした。
姉たちとはすぐに仲良くなって、よくお菓子や漫画をもらいました。
2人とも私がお仕置きを盗み見していることも知っていたんだと思います。
ある日、次女が半笑いで私の髪を引っ張り「いいものが見られたかしら?」と言ってからかっていました。
私は恥ずかしかったけど、覗き見を止めることはできませんでした。
ある時、私は村の店で万引きしたところを捕まえられたことがありました。
ついに私も継父からのきつい尻叩きを受けるのだと思っていましたが、継父は「『尻叩き』は女のためのものだ。」と言って、1ヶ月間、石炭小屋の掃除と万引きをした店の雑用をさせられました。
姉たちの尻叩きと笞打ちは、私が大学に進学してからもずっと続いていました。
2人とも看護師になったので、何度か看護師の制服姿でお仕置きされているのを見たことがあります。
長女は28歳で結婚して家を出るまで、日曜の教会のあとはお仕置きの尻叩きを受けていました。
ある日、大学から帰省した私は、たまたま日曜日に自宅である牧師館に到着しました。
すると奥の方から誰かが叩かれているような音が聞こえてきました。
もちろんそれは、姉たちのどちらかがお仕置きされているのだと思い、私は奥の方へと進んで行きました。
その頃になると私は、姉たちの尻叩きなんて、ほとんど気にしなくなっていましたし、姉たちも、私が覗いていることなんてなんとも思っていませんでした。
それでも今日はどっちの姉のデカ尻が丸出しにされているのか確認のためこっそりと覗いてみました。
すると義父の膝には、いつもよりも大きくて立派なお尻が盛り上がっていたのです。
驚いたことに、お仕置きを受けていたのは母であることに気づきました。
かなりの衝撃と、突きつけられた事実に、衝撃を受け、覗き見トムとしての私のキャリアは、その時を持って終わりました。
時は流れて60年代となり、私には叩きがいのあるセクシー「お尻」を持った彼女を作っていました。
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